ただ生きることの難しさと生命の輝き

 先日、ホタルをみた。

薄暗い闇夜に儚く輝く、光の数々。その淡くも力強い光一つ一つが生きていると叫んでいるような気がした。

 

ホタルの寿命は短い。

生まれてから1年ほどを水の中で過ごし、その後陸に上がって土の中で成虫になるのを待つ。

2ヶ月ほどのさなぎの期間を経たのち、成虫として空へはばたきあがると、つかの間の淡い恋を楽しみ、子孫を残して2週間ほどでこの世を去っていく。

 

成虫の、空を飛べる間だけがホタルの人生だなんてとらえ方は人間の傲慢かもしれないけど、ホタルの光は見ていると美しく儚いものだとの印象を受ける。

 

懸命に生きる小さな生命。

ただ生きているだけでなぜこんなにも感動させるのだろう。

 

ホタルだけじゃない。道端に咲いている小さな花や、空を舞う鳥たち、ただ何年も同じ場所に立ち続けている木々などをふと目にしたとき、なぜか言いようのない感動に襲われることがある。

 

ただ懸命に生きている。命を燃やして生きている。

それはとても美しく、気高いことのようだ。

 

人間も同じなのだろう。ただ懸命に生きていれば生命は自ずから輝き、気高い人となるのだろう。

 

二宮尊徳という人がいる。二宮金次郎像の人だ。

二宮尊徳は、農民出身でありながら、誰よりも懸命に働き村の農業の発展に尽くしたため徳川幕府に登用されることとなった。

その際の尊徳の立ち居振る舞いは、教育を受けていないにも関わらず、貴族と見紛うほど美しいものだったという。

 

ただ一生懸命、生命を燃やして熱心に取り組む。余計なことに惑わされず、懸命に生きる。

それこそが生命を輝かせ、人を美しくするのだろう。

 

病院の中では、その人の資産も、社会的地位も、今までの経歴も価値を持たない。

医療者側にわかるのはその人個人の人間性だけだ。

 

高い個室に入り、お金も持っていそうだなという人でも、人間的に未熟さを感じさせる人はたくさんいる。

逆に大部屋の中にいても、自分の現実を淡々と受け止め、周りへの気遣いを忘れず、こちら側にも感謝の意を丁寧に示してくださる方もいる。

そういう方の生きざまの美しさ、人間としての重さにはひたすらに頭が下がる思いがする。

 

病院の中ではごまかしがきかない。

その人がどれだけ真剣に生きてきたか。その人自身が作り上げてきた人格が克明に描き出されている。

 

はたして私はどうだろうか。

日々悩み、迷い、余計なことばかりに時間をとられている。

簡単に大切なことを見失い、だらだらと時間を消費してしまったりする。

きっと美しさには程遠い生き方だろう。

 

ただ生きる。草も木も花も虫も鳥も動物も、当たり前のようにできていることが、私たち人間にはとても難しい。

だからこそ一生懸命に生きる人々はとてもまぶしく、美しい。

 

時には自然の声に耳を傾け、自分の生き方を見つめなおす必要があるのだろう。